カーネルサンダース


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ケンタッキーおじさん として有名なカーネルサンダース。 今でこそ有名なおじさんだが、彼の人生は波乱万丈です。

1907年に除隊した後は、青年期にかけて様々な職業を渡り歩き、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種に上る職を転々とした[5]。30代後半にはケンタッキー州ニコラスビルでガソリンスタンドを経営するようになるが、大恐慌のあおりを受けて倒産するなど、多くの波瀾を経験した[3]。

始めはガソリンスタンド それも大火になるなど
1890年生まれのカーネルがケンタッキーフライドチキンの原点となるお店を立てたのは彼が40歳になった時

1930年6月、ガソリンスタンドの一角に物置を改造した6席のレストラン・コーナー「サンダース・カフェ」を始める。サンダースはガソリンスタンドの支配人と調理師とレジ係を兼ねた。
州の南北を貫く幹線道路である国道25号線(英語版)に面した店は繁盛し、規模を拡大した。1935年には「州の料理への貢献」が評価されて、ケンタッキー州のルビー・ラフーン知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられた。
「サンダース・カフェ」は、1937年にはモーテルを併設した142席のレストランに成長した。1939年には店舗が火災に見舞われるなどの災難もあったが、1941年にはコービンに147人収容のレストランを再建。現在この店舗は博物館 (Harland Sanders Cafe and Museum) となり、アメリカ合衆国国家歴史登録財となっている。
「サンダース・カフェ」の目玉商品がフライドチキンであった。1939年に導入された圧力釜を用いた「オリジナル・フライドチキン」の製法は、以後70年以上にわたって「オリジナル・レシピ」として引き継がれている

カーネルサンダースのwikipedeiaから抜粋
1000回断わられた話は本当かどうかはわからないが、様々な事業を転々とし、カフェを始めて辛抱強く頑張った結果が
現在のカーネルサンダース。 ケンタッキー・フライド・チキンになったわけです。
もし、カーネルがどこかであきらめていたら? あのフライドチキンは無かったのかもしれないのですね。
あきらめずに頑張ること、信念を持つこと。経営者の皆様、頑張りましょう。 きっとあなたのビジョンは達成されます!

カーネルサンダース  1890 ~1980